BL
□花と言葉
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ある日の午後。
トレミーの廊下の角を曲がったら、途端にフェルト・グレイスとぶつかった。
「ご、ごめん、ティエリア!大丈夫!?」
「僕は平気だ。君の方こそ大丈夫か?」
「うん、私も平気。ごめんね…、急いでたから前見てなかった」
申し訳なさそうに言う彼女に、初めて会った頃に比べて随分変わったな、と思う。
以前は「ごめん」の一言だけで済ませていたのに。
…それは僕自身にも言えることだけれど。
「ところで、何をそんなに慌てていたんだ?」
「今朝、水やりするのを忘れちゃって…」
「水やり?」
「うん。私の部屋でね、花を育ててるの。宇宙だから育てるのが難しくて、もう何度も失敗してるんだけど…」
少し照れながら言うフェルトの手には、封のされたボトルが握られていた。中身は水なのだろう。
「花…か。少し興味があるな」
「え!?本当に?」
途端に嬉しそうな表情になるフェルト。
あどけない顔に、自然と心が和んだ。
「ティエリア、花好きなの?」
「別に好きな訳じゃないが、宇宙という環境で育つ植物がどんなものか見てみたい」
「うん、見ていってよ。花って言っても、まだつぼみも無いんだけど…、今までで1番頑張って育ってくれてるんだよ」
「……楽しみだ」
そんなに上手く笑えた訳じゃないけれど、僕は微笑んで、フェルトと2人で彼女の自室まで向かった。
フェルトの部屋。
部屋の片隅に、その植木鉢はあった。
植木鉢からは20cmほどの長さの葉が10本伸びていて、葉の根本からは茎が伸びていた。
植木鉢はそんなに大きくないから、少し窮屈そうだ。
「思ったより育っているんだな」
「うん。ここまでくるのにすごく時間がかかっちゃったけど」
「この植物は何と言う名前なんだ?」
「ええとね…、………何だと思う?」
逆に聞かれてしまった。
けれど僕には植物に関する知識なんてほとんど無い。
困っていると、フェルトが少し笑みをこぼして言った。
「ヒント。色の種類が沢山あるの。それから、えーと、日本だったかな?この花を題材にした有名な歌があるんだよ」
「と、言われても…」
残念ながら僕には、歌の知識も乏しい。
いくら考えてもさっぱり分からなかった。
「…分からない。答えを教えてくれ」
素直に降参した。
けれどフェルトは答えの代わりに、あることを提案してきた。
「じゃあ、これからいつも見に来て。花が咲くまで、話しかけてあげて」
「……話しかける?」
意味がよく分からず、フェルトの方を見る。
フェルトはというと、植木鉢の葉を真っ直ぐ見つめ、穏やかに微笑んでいた。
「あのね…、植物には人の声がちゃんと聞こえてるっていう話、聞いたことない?」
「聞いたことないな」
「音楽でも良いんだけど、人に話しかけられながら育った植物は、すごく綺麗な花を咲かせてくれるんだよ。
だからティエリア、この子たちに話しかけるのを手伝って。そしたら花が咲いた時に、ティエリアに半分あげる」
「…………」
人に話しかけられて育った植物には綺麗な花が咲く…だなんて、にわかには信じられない話だ。
けれど断る気は起きなかった。
フェルトには今まで沢山世話になったし、たまにはこういう手伝いもいいだろう。
「分かった。…だが、どんな言葉をかければいい?」
「普通に世間話で良いよ。あと、歌を歌ってあげるのも良いかも…」
「う、歌…。僕がそんなことすると思うか?」
「思わないけど、1度くらい聞いてみたいなぁ」
くすくす笑いながら言うフェルト。
つい毒気が抜かれてしまう。
だからといって歌など絶対に歌わないけれど。
「あ、そういえば、私たちのこの会話もこの子たちには聞こえてるのかな?」
フェルトがふと思いついたように言う。
「…さぁ。」
だいたい植物に耳なんて無い。
考える脳だって、心だってないと思う。
…それとも、心くらいは宿っているのだろうか。
疑問符を浮かべながら、植木鉢の方に視線を向けた。
鮮やかな緑の葉が、空調の風で微かに揺れていた。
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