戦国絵巻物語

□鏡花水月  第一話「双子の姫君」
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ここは、室町時代の末期(戦国時代)の頃の加賀の国(今の石川県南部)。
代々この地を支配していた富樫家は、度重なる家督争いのお家騒動と、加賀の本願寺門徒らが中心となった一向一揆によって、衰退の一途をたどっておりました。

天文5年(1536年)富樫家最後の当主となる 晴貞が、家督をつぎました。

晴貞公は富樫家の次男でありましたが、一向一揆によってとらえられた父君と兄君が自害された為、家督を継いで富樫家17代当主となられたのであります。

その翌年、晴貞公のご正室珠姫様が双子の姫をお生みになりました。
二卵性の姫君なので、瓜二つではありませんが、お二人とも気高く気品のある美しい顔立ちをされてました。

お一人の姫君は、夜の闇を優しく明るく照らす美しい月のような姫君。
もう一人の姫君は、人々の上に温かく降り注ぐ輝く太陽のような姫君。

衰退の一途をたどる富樫家。
双子は不吉の前兆として、忌み嫌われ、重臣達と同族達の圧力により、片方の姫君は抹殺せよとの晴貞公からの苦渋の御命がでました。

でも、それは表向き....。
密かに信望の厚い家臣に預け、その家の娘として大切に育てられました。

母君玉姫様と晴貞公は、手元に残した月のような姫君を『香月(こうげつ)』、密かに家臣に預けた太陽の様な姫君を『花月(かげつ)』と名付けました。

名前の由来は、双子の産まれた時、夜空には美しい満月が浮かび、その光が、庭に香しく麗々と咲き誇っていた丁香花(はしどい)の木を優しく照らし、それが大変素晴らしく、丁香花と月の字をとって名付けました。

花月が預けられた家は、表向きは郷士(武士身分を維持しながら、農村に居住、地主として小作人を支配)でしたが、本当の姿は忍びの頭(上忍)で、その頭に小作人として使えている者達も忍びの者(中忍・下忍)でありました。
この者達の組織名を『八曜陣』と言いました。

花月の養父となる八曜陣の頭の名は、『九 元(いちじく げん)』、九と書いて『いちじく』と呼びます。
九元の妻であり、花月の義理の母になる養母の名は『九 清(いちじく きよ)』。
元と清には三人の息子がおり、それぞれの名を、長兄・雷月(らいげつ)、次兄・風月(ふうげつ)、末兄・海月(かいげつ)と申しました。
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