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「あれ、おはようドタチン」

「その名前で呼ぶなっつったろ。お前が遅刻なんて珍しいな」

「ちょっと調べ物」



久しぶりに堂々と遅刻をかまして、ガラリと教室のドアを開ける。ちょうどお昼休みで人もまばらな教室には、顔見知りなんてドタチンぐらいしか居なかった。

ごまかすように笑ってから、ふぁ、と欠伸を漏らす。いつも深くは追及してこないドタチンは呆れたように一つだけため息をついた。



「今日に限って朝から呼び出されてたぞ、校内放送」

「保健室から?」

「知ってたのか」

「まぁねー」



無視しちゃったなぁ、なんて笑いながら、まだ何か言いたそうなドタチンを無視して自分の席に座る。ポケットに手を突っ込んだ瞬間指先にあたる冷たいかたまりを確認して、俺は上機嫌にドタチンを仰いだ。



「あの新任の保健医に何かやらかしたのか?」

「酷いなぁ、俺がそんなことすると思う?」

「思いたくはないんだがな」



食べ終わったパンの袋をぐしゃりと潰してゴミ箱へ放り投げながら、ドタチンはじっと俺を見つめる。怒られるかと思ったが、そうじゃないらしい。

なに?と首を傾げると、ぎゅっと眉間に皺を寄せられた。迷っている時のクセだった。



「お前、あの先生気に入ってんのか」

「…いきなりなに?」

「色々ウワサされてんぞ、変に手ぇ出さない方がいいんじゃねぇのか?」

「ふぅん」



俺を気遣うように言うもんだから何かと思えばそんな事。俺はそっけないフリをして返事をしながら、つい今しがたまで調べ尽くしたばかりの彼女の話題に少しだけ驚いていた。




退屈な高校生活では、新任の教師や転校生なんて噂話の格好の的になる。それがあんな風に若かったり綺麗だったりすると事態は最悪だ。

『実は名家のお嬢様だ』とか『理事長の愛人だ』とか、根も葉も無い噂が少しずつ生徒を侵食していってることも、俺は知っていた。
3年生まで届くのも時間の問題だろうな、と、だんだん雲を重くする暗い空を眺めながら一人ごちる。



「まあ若い保健医なんて色々言われるもんでしょ。生徒とデキてるとかコネがどうとかさ、」

「危ない彼氏と付き合ってるって噂は聞いてるか?」

「………へぇ、それは初耳」



まっすぐにこちらを見つめるドタチンに、少しだけ低い声で返事をする。さすがにそんな噂話までは知らなかったけど、どうせそれも根も葉もないゴシップだろう。

一瞬だけ冷たくなった首筋を払うように軽く振って、茶化すようにドタチンの缶コーヒーを奪った。彼は妙なところで情報通だったりするからタチが悪い。



「まあそういう噂ってさ、ちょっと時間が経てばすぐに消えて──…」

「臨也、」



腕を広げて話題を変えようとしたところで、相変わらず低いその声で名前を呼ばれる。なに、今日は随分と真剣だね?



「…お前、最近ヤクザと絡んでるだろ」

「ああ粟楠会さんのこと?ドタチンも見たことあるでしょ?幹部の四木さんと、」

「それだ」



またしても俺の言葉を遮って、ドタチンはピンと伸ばした指を俺の鼻先に突き付ける。なにが「それだ」なのかさっぱり分からない俺は口を噤んで次の言葉を待つしかなかった。



「その四木って人、昨日の夜に見かけたんだけどな」

「ドタチン?」



指を突き付けたままのドタチンはピントがずれて少しぼやけて見える。あんまり寝ないで調査していたからか、目が霞んでいるのが分かった。

相変わらずドタチンの眉間には皺が寄ったままだ。もうとっくに分かっている。これは、彼の迷っている時のクセ。





──いったい、何を迷ってるって?





「一緒に居た女の人、例の保健医だったぞ」

「………は?」



思わず漏らした心底拍子抜けした声に自分でも驚きながらドタチンの顔をまじまじと見つめる。

これだから情報って大切なんだ。ええっと、何がどうなってるって?

パチパチとパズルのように頭の中で言葉を整理していると、昼休みのうるさい教室に介入する不快なノイズと電子音が響いた。




『繰り返します。オリハライザヤくん、放課後保健室まで──』





その声の主とあまりのタイミングに驚いて、ドタチンと2人して黒板の上のスピーカーを仰ぐ。

そのままお互いに目を合わせたところで、先にドタチンがはぁぁ、と息を漏らした。




「言ったそばから…お前、何やらかしたんだ」

「うーん、内緒」




誤魔化すように笑って再びポケットに手を突っ込むと、指先に触れる冷たい感触。ドタチンが何か言う前に教科書を引っ張り出して笑いかけてやった。次、移動だよ?






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